2011年2月15日火曜日

grandpa

ちょっとアメリカ旅の日記はおやすみ


2011, 2/10 pm11:15

大好きなおじいちゃんが天国に旅立ちました

8日に、お父さんや私が赤ちゃんの頃からずっとお世話になっていた
教会のおばあちゃんが亡くなったと知らせを受け、お通夜とお葬式に出席した

その次の日の突然の出来事だった。

今年のお正月もおじいちゃんは、
うちに来て元気に過ごしたのだけど

2月に肺炎にかかって、即入院

わたしもなるべくそばにいようと作業道具をもって病室にお見舞いにいき、
作業をしながら眠っているおじいちゃんと一緒にいた
これから毎日ここにきて作業をしよう…と思っていた矢先、

10日の朝、先生から「今日が最後かもしれない」と言われ

家族で一日中病院で過ごしました。

お父さんも、兄ちゃんも、お母さんも、仕事を打ち切り、病院に集まってきた

お母さんの兄弟も東京から新幹線で急いでくると連絡をうけた
長い長い、一日だった 

そしてあっという間の一日

これがおじいちゃんと過ごす最後の一日だと思うと、胃がキリキリした

おじいちゃんの体はあったかい 

あったかいってすごい事だ 生きている証拠だって改めて思った

そして『死』というものは本当に予測のつかないものだ

ぐるぐるぐるぐる色んなことを想った
亡くなる最後の一時間、
おじいちゃんのそばでお母さんは明るくしゃべりかけたり、歌を歌ったりした
私はあの光景を一生忘れないと思う
お母さんの強さをまた知った

夜10時ごろ、おじいちゃんの心臓が止まって
お母さんが何度も「お父さん!」と呼ぶと三度ほど心臓がまた動き出した

 そのときおじいちゃんの底力を感じたよ

そして私達が見守る中、84年の生涯を終え
静かに息を引き取りました


おじいちゃんは15歳から定年の58歳まで
船乗りの仕事をして家族を支えた

航海に出ると3ヶ月は家に帰ってこれないので
家族には1年に3回ほどしか会えなかったんだって

海の上で戦争を体験して、よく船での出来事を話してくれた

お酒とタバコが好きで
頑固で時々大きな声で怒鳴るので幼いころはちょっとこわかったな
でも実はすごく優しくて夜遅くまで一緒にトランプをしたり、
鹿島に行った時はよくお花見に連れて行ってくれた

おじいちゃんがときどき笑うと嬉しかったな
 

そんなおじいちゃんの好きな色は ピンクと空色
花が好き
行ってみたい国はフランス

色々話す中で、意外なかわいい一面を発見できて、
おじいちゃんのことがもっと大好きになった
お葬式では私もおじいちゃんの施設の部屋に飾っていた絵をロビーに飾った

東京のいとこや親戚も遠いところから来てくれて…
 こんなときに家族や親戚がいるって本当に心強いなってあらためて感じたよ

 お通夜とお葬式はなんだかおじいちゃんに対しての、たくさんの愛を感じた

そして長男であるおじさん(お母さんの弟)の最後の挨拶は
息子だからこそできる深い愛情のこもったものでした
 
 私のお母さんを男手ひとつで一生懸命育ててくれてありがとう

私の体の中にはおじいちゃんの血が流れてる

おじいちゃんの孫であることを誇りに思うよ


私も与えられた人生を大切に生きるから、
天国から見守っていてね
本当に本当にありがとう

大好きです

                              (おじいちゃんとお母さん)